「ハイリスク・ハイリターン」という言葉の語呂の良さか、「リスクの形はリターンと釣り合うように対称になる」と思いがちだ。特に、感情が入ってしまうと、リスクを過大評価してしまう。自分の中では「恥ずかしい」が含まれるリスクは得られるリターンに比べて過大評価しがちなので、もったいないと思うようになった。「聞く」「やってみる」、特に子どもたちの年代では恥ずかしいと思うこともあるけど、子どもたちにもリスクとリターンの関係を少しだけ意識して大きなリターンを取って欲しいなと思う。
最近、近所でイベントがあり、子どもたちと立ち寄ってみた。イベントの片隅で色々な石を広げている若者がいた。長男が石が好きなこともあって、声をかけてみると、「石好きだった宮沢賢治と絡めて石の紹介」をしてくれるという。あまりの詳しさに「大学生?なんでそんなに知ってるの?」と聞くと、なんと中学生で、「~という会があって、そこで色々なこと教えてもらえるんです。特に子どもなら期待のホープなので皆とても良くしてくれます。石も珍しいのを譲ってもらえたり、石の採集にも連れて行ってもらえます。」と教えてくれた。Googleで会の名前を検索しても、情報がほとんど出てこない。もう一度話しかけて、代表の方につないでもらえることになった。
その日は宝物を見つけたような気持になった。話しかけたり、質問するのは、少し勇気のいることだけど、「リスク」として考えると、「嫌な顔をされる」「無視される」「馬鹿にされる」くらいで、痛くも無いし、大した危険も無い。そのリターンは、知らないことを知れたり、面白そうなことにつながったりとリスクの割にリターンの大きい非対称な行動だなと改めて思った。気になったらなるべく質問したり、意見を言ってみようと心がけるようになったのは、海外に出て経験したことが大きく影響している。
アメリカで学生生活を送る中で驚いたことの一つに、Participationという成績評価の項目がある。どれだけ積極的に授業に参加したかという指標だが、日本の様に、出席数が足りていれば良いというものではなく、授業中にどんどん発言しなければ、評価の対象にならない。科目によっては、テストと同じくらいの比重を占めているものもあり、どれだけテストで良い点を取っても、Participationがほとんど無ければ単位を落としてしまうような科目もあった。
授業中は話を聞くことに集中し、意見を言ったり、質問したりすることがほとんど無かった学生時代を過ごしてきたのと、英語に自信が無かったことから、授業中発言することにかなりの抵抗があった。他の国から来たクラスメイトはどんどん発言している姿を見てうらやましく思ったことを覚えている。しかし勇気を振り絞って発言した時には、発音や文法などを馬鹿にされることよりも、その発言をきっかけに色々と議論が進んで、「発言して良かった」と思ったことの方が多かった。
アメリカから帰国し、海外事業部に配属になった。当時部署の中でも1-2番目に若く、周りは経験豊富な人たちや役員ばかりだった。最初の頃は会議に出ても、議論の内容の背景知識が少なく、自分から発言をすることは少なかった。しかし上司は「お前はどう思う?」と良く聞いてくれた。「会議に出ても、発言しないなら参加しなくて良いよ」というスタンスの上司は、黙って聞いているより、トンチンカンな意見でも発言する方が良いと思っていたようだった。ここでも振り返ると、「何を言ってるんだ・・・」とあきれられるより、その発言に対して質問されたり、一つの切り口として認められ、会議の後も声をかけてもらえることの方が多かった気がする。
アメリカの学生生活と海外事業部に共通するものは、「誰も絶対的な正解を知らない」という状況だったからだろう。誰かが知っていればその正解に従えば良いし、色々な意見を取り入れる必要はない。だからこそ、正解を知らない場合は、それぞれの意見が尊重される。小学生はまだ誰かが決めた正解に従っていく段階なのかもしれない。でも色々なことに疑問を持って、自分なりの意見をどんどん表現していって欲しいなと思う。僕にとっての「アメリカ」や「海外事業部」のようなきっかけを子どもたちにつくってあげられる場所にしていきたい。サマースクールもそんな体験のひとつになるようにしていきます。