「高校時代の監督が今年で定年らしい。」そう聞いた時に、高校時代の「胸が苦しく、練習に行きたくない」気持ちが蘇った。あの時のチームメイトも一人残らず、同じ気持ちを持ったことがあると思う。
小学生の頃からサッカーが好きで、朝も友達とサッカー、学校の昼休みもサッカー、学校から帰ってもサッカー、家にいてもサッカーのビデオばかり見ていた時期があった。「好きこそものの上手なれ」との言葉通り、その頃はとてもサッカーが上達していた。中学生までは、「胸が苦しく、練習に行きたくない」なんて思ったことは無かったと思う。
高校はサッカーが強い高校に行きたくて、親元を離れ、一人暮らしをしてサッカーに励んでいた。高校1年までは、県内トップレベルの選手が集まる中でプレー出来て楽しかったし、イギリスに遠征をして、当時はまだ今ほど強くは無かったけど、マンチェスターシティのユースチームに勝ったりして良い思い出が多い。
気持ちが暗くなるのは、2年生になり、Aチームに入りだしてから。Aチームに選んだのはその監督なので、何かを期待してくれてはいたんだろうと今は思う。でも監督の指導のやり方は、「できないことを徹底的に指摘すること」だった。「なんで言ってるのにできないんだ!」と怒鳴り散らす監督の姿を見て、先輩たちも同じことを指摘し出す。あれだけ好きで、一人暮らしをしてまでやりたかったサッカーがその時はなるべくやりたくないものになってしまった。
そんな時期でも、朝練や居残り練習は欠かさなかった。でももう小学生の頃のように、ワクワクしながらボールを蹴り、自然に上達していくのではなく、「監督に怒られたくない」、「これだけ練習しているんだから許してくれ」という気持ちで練習していた気がする。
子どもと関わる仕事として、「好きなことが怖くなる」ような指導の仕方は絶対したくないと思う。一方で、今の自分だったら、あの監督でも「もっと上手く付き合え、上達できたのでは?」という後悔もある。その監督のポジションは自分と同じで、現役時代の監督は全国でも有名だったらしい。自分の中できちんと課題を切り分け、言い訳のような練習に逃げるのではく、アドバイスを求めるなど、自分の成長にもっとメリットのあるコミュニケーションができたのではと思う。
その環境の中にいると偏った視点で見て、どうやっても抜けれない落とし穴に落ちてしまったような感覚になることもある。でも視点を変えると、掴まれそうな木の根や、掘るのに使える石など自分の状況を良くする物は周りにあると思う。自分が子どもだった頃を振り返って、近くにいる大人が教えてくれれば良かったと思うようなこと、あの悩んでいた昔の自分にも伝えたかったことを、少しずつ伝えていけたら良いなと思っている。