「ほめて育てる」、子育てをしている人たちなら触れたことがある考え方だと思う。ほめ方にも色々あって、有名なのは、「才能」ではなく、「努力」をほめた方が難しい問題にも挑戦するという研究ではないだろうか。研究では、才能をほめられた子は学ぶことより「できるかできないか」という成果を重視し、難しい課題に失敗した後は、その課題へ忍耐強く取り組むことができず、課題に取り組む楽しさについても努力をほめられた子よりも感じ辛くなっていた。努力をほめられた子は難しい課題は努力すれば達成できると考え、才能をほめられた子は持って生まれたもので課題ができるかどうかが決まってしまうと考える。
「ほめる」というとアメリカに住んでいた時に、妻がよく見知らぬ女性に声を掛けられていたのを思い出す。彼女たちは、妻のファッションをほめるだけでなく、「どこで買ったのか」を良く聞いていた。日本でそんな声掛けをしたら、「何かの勧誘か?」と警戒するが、純粋に良いなと思い、どこで買えるのか聞いていたようだ。
僕はファッションではほめられたことは無いが、大学院の授業で発言すると、「良い視点だから、その点について考えてみよう」と意見についてほめられることはあった。あまり英語に自信が無く、発言するのに勇気がいるような状態だったので、そうやってほめられて、ホッとし、意見を言うのが少し楽になったことを覚えている。
そして今、子どもたちと接するようになり、また「ほめる」ということについて考えるようになっている。発達障害を持つ子どもに対して、叱って「悪い行動を減らす」よりも、「ほめて良い行動を増やし、結果的に悪いことを減らす」という接し方がある。発達障害の子どもたちだけでなく、どんな子どもにも当てはまりそうだなと思っていたのだが、同時に日本人として、アメリカの人たちのように上手くほめるのは難しいなと感じていた。しかし一般的に「ほめる」と言ってイメージするほめ方とは違い、ただ「すごい!」「えらい!」「頑張ったね!」と伝えるだけでなく、「肯定的な注目」も「ほめること」に含まれるのだそうだ。子どもがやっていることに対して、「歴史の本読んでるんだね。」と笑って伝えることや、「へー、それは知らなかったな。ちょっと詳しく教えてくれる?」という質問も、「肯定的な注目」として、「ほめている」ことになるのだそうだ。
アメリカで感じたほめる文化は日本人としてうらやましいなと思う部分もあるけれど、日本の文化には馴染みづらい部分もある。「肯定的な注目」ならば日本人でも無理なくできるのではないだろうか。生きていると色々な壁にぶつかったりする。才能をほめられた子のように、「自分の能力以上の壁は超えられない」と思い、壁を登ることを諦めてしまうのではなく、厳しい壁もあるけれど、心のどこかでそんな壁も楽しみながら超えると信じられる子どもたちになる手助けがしたい。そのために、子どもの色々な変化に気付き、肯定的な注目ができるようにしていきたい。