以前「あいまいさ」という投稿で、前職のある取締役について書いたが、最近スペインのサッカーに触れるようになって、似たような感覚を持つようになった。
息子が通うFCバルセロナが監修するバルサアカデミーでは、コーチ達は、子どもにほとんど教えない。「そこはこういうプレーをすれば良い」という指導者が持つ答えは言わず、「どうすれば良いと思うか?」と問いかける。スペインの名門クラブで選手育成を担当し、Jリーグの理事もやられていた佐伯夕利子さんも、『指導者に必要なのは「教え」ではなく「問い」』だと語る。
答えがあることに関しては、教えることは、有効なのだろう。しかしサッカーのように、不確実性が高いスポーツでは、パターンが多すぎて、答えを教えるのが難しいというか、答えが状況によって変化してしまう。問いかけられると、頭の中で色々なパターンを想定し、色々な答えを用意する。指導者が出した一つの問いと答えを指導内容から類推するよりも、答えがわからないあいまいな状況で、答えを探す努力をする方が、地力がついていくということだろうか。
もう一つ、問いが有効だと考えられるのは、大人が考える答えをなんとなくわかっている賢い子に対してだと思う。賢い子は、それまで経験したこと、指導者の言動から、なんとなく大人が喜びそうな行動・発言を自然とするようになる。そうなっている時は、子どもの焦点は「指導者からどう思われるか」に近づき、「自分が成長するため」から離れてしまっている気がする。その子どもの焦点を「成長」に戻すためにも、「指導者が考えること」ではなく、「自分が考えること」に視線を向ける「問い」は重要なのだと感じる。
人生はサッカーより、複雑なのは間違いないだろう。子どもたちが自分たちで、人生を楽しんでいけるように、良い問いかけが出来るように、色々な引出を持てるようにしていきたい。